贄の街 3

 支社は街の中心に位置するが、池村が借りたアパートはそこからだいぶ離れた新興住宅が林立する一角にある。林立とはいえ、このあたりは本社のある都市部のように、家々が密集して建っていないのでゆとりを感じる。

 朝、ごみをだすときに隣の一軒家に住んでいる奥さんとたまに顔を合わす。挨拶程度の会話はある。メガネをかけた、いかにもまじめそうな息子がゴミ袋を捨てにくることもある。聞くと、「今年から高校に通っています」と答えた。

 奥さんはスタイルもよく、何といってもクラッシックバレーでもやっていた、もしくはやっているのではと思えるくらい姿勢がいい。こんなに大きな子供がいるようには見えない。

 完全な肥満体の夫を見たときにはびっくりした。その夫と息子の三人で暮らしている。この美人の奥さんと挨拶を交わすのは密かな楽しみなのだ。嫉妬されるといけないので杏子には話していない。

 会社の帰りにバーへいくと児島がいた。

 お礼を伝えたあと、「お借りしたタクシー代をお返ししようと思ってはいたのですが仕事が」などと口ごもる。何となく敷居が高く、しばらく遠のいていたからだ。児島は、「そんなもの結構ですよ」と笑って手を振った。

 二人でテーブルに移ると児島が前屈みになって声をひそめた。

「ショーの連絡がありました」

「えっ」と絶句し、池村はおおげさに身を反らせた。

「児島さんは平気なのですか」

 超然とさえしている姿に思わず気色ばむ。

「平気といえば平気ですし、そうでないといえばそうではない」

 禅問答のような凡俗の理解を超える答えだ。

「私は野暮用ができてしまったのです。池村さんいかがでしょう」

 全身の脈拍が速いビートを刻む。

「先方にはいくと連絡してありますので後学のためと思って是非。後学というのも変ですがねえ」

 決して揶揄するような表情ではない。池村は喘ぐように聞く。

「児島さん以外の人間でも大丈夫なのでしょうか」

「問題ありません」

 場所を聞いた。暗号が必要らしい。時間厳守、児島は何度かそれを口にした。

 ストリップショーのようなものなのだろうか。見たことはないが、それであればネットなどで内容はおおよそ知っている。ストリップショーには、あまり興味はない。だが出演の女性が瑞枝であるならば話しは別だ。恐ろしいほど心がときめいた。

 ふと、隣の奥さんの姿が脳裏に浮かんで淫らな妄想を描く。瑞枝のように”彼ら”の所有物になっている女性が他にいるのだろうか。そんな悲劇をよそにエクスタシーが全身を巡った。

 休日でなければ会社を休むつもりでいた。場所は会社から歩いていける距離ではないが同じ街にある。

 指定の場所は高級マンションだった。ハイクラスのホテルのようなエントランスに一歩踏み入れる。まるで場違いな気分だ。ナンバープレートに部屋番号を入れるとすぐに声がした。男女の区別がつかない金属的な声。早口で暗号をいうと相手は別の部屋番号を告げた。

 指定されたナンバーのエレベーターには、外にも内にもスイッチパネルはない。ドアが開いていたので乗り込む。どこかで操作しているのだろうか、自動的に閉じて動いて勝手にその階で止まった。

 廊下の全面に分厚い絨毯が敷かれていて足音はしない。忍び足で歩いているような落ち着かない気分だ。四角いビルでありながら通路は弧を描いている。通路には誰もない。が、監視カメラがないはずがない。池村は緊張した。

 告げられた部屋の前に立つ。チャイムらしき物はない。深呼吸をしてドアを叩こうとしたとき、内側に開いたのでぎょっとした。ドアは二重になっている。二つとも開いた。中に人の気配はない。警戒しながら足を踏み入れるとドアが閉まった。ノブを引いても開かない。慌てて周囲を見まわすとインターホンが壁にあった。用があればこれを押せということか。迷ったがやめた。

 細長い部屋は殺風景で薄暗い。椅子の他に小さな冷蔵庫が置いてある。開けてみると数本の飲み物が入っている。その横にコーヒーマシンがあり紙コップが逆さに置いてある。香りが漂っていたのはこのせいだ。飲むつもりはない。

 この椅子に座れということなのだろう。椅子の前の壁には丸い嵌め込みガラスがある。その向こうに明かりが消えて薄暗いが、十畳程度部屋がぼんやり見えた。壁がきらきら光っているので目を懲らすと四方が鏡張りであることがわかった。

 部屋の中央にはとても大きなダブルベッドがある。ラブホテルに置いてあるようなけばけばしいものではなく、ごく普通のベッドだ。それがかえってリアルに感じる。(あのベッドの上で)そう思うと下腹部にキュンと痛みが走った。

 丸窓の横にモニターが埋め込まれている。目の前なので大きく感じる。ここに何が映しだされるのかは想像がつく。ショーというより覗き部屋だ。おそらくまわりにも池村がいる部屋と同じような小部屋がいくつもあるのだろう。通路を歩いているとき、やたらにドアがあったのはこういうことだったのだ。一部屋にドアが二つあるのだろうと思っていたがそうではなかったのだ。

 この部屋から鏡張りの部屋を見下ろすことになる。部屋の構造がなんとなく分かってきた。要は下の階の天井というか、この階の床をぶち抜いて、下の階を見下ろせるようにしたのだ。鏡張りの部屋を中心にして覗き部屋を四方八方に造ってあるのだろう。だから廊下が弧を描いていたのだ。よく見ると天井も鏡なので上からも覗ける部屋があるような気がする。とすればすごい構造だ。初めからなのか、それとも上下の階全部屋を購入してから改造したのか。どちらにしてもスケールが違う。

 鏡の裏には無数の目があるのだ。

 仕事で何度か足を運んだ音響スタジオには、音が漏れないような構造の分厚い二重ドアがある。ここのドアも同じだ。部屋の壁に指の甲をぶつけてみるが、河川敷のコンクリートの堤防を叩いているようで実感がない。完璧な防音構造だ。池村は息苦しさを感じた。

 全部屋が埋まっているとすれば結構な人数だ。時間厳守の理由はそれぞれ顔を合わせないようにするためだ。時間をずらせば訪れる人間の顔を見ることができる。だが本能的にそれはしない方がいいと誰もが思うにちがいない。

 時間をずらした場合、部屋に入れない可能性もある。そして二度と見ることができない。その後、なんらかの危害等々、考えるだけで身震いした。

 児島は『男のものになっている』といった。これは現在の瑞枝が合意しているという意味にもとれる。

 客の中に池村のように瑞枝を見知っている人間がいる可能性はある。瑞枝はショーという認識があるのだろうか。丸窓を覗き込み、ふとそんなことを思った。待たされる間、頭の中で淫らな妄想の螺旋を描き続けた。

 いきなりベッドの部屋に明かりが灯った。鏡に反射しているので昼間のように煌々としている。モニターの電源も入った。その光で池村の部屋も明るくなったが、向こう側からは見えないようになっているのだろう。胸に苦痛のようなものも感じながら固唾を飲んで見つめた。

 ドアが開いた。入ってきたのは下着姿の女性。

 ビスチェもパンティもオーバーニーソックスも全て白のシースルーだ。ガーターベルトがいかにも卑猥だが、娼婦のような姿とは相反し上品な雰囲気がある。年齢はわからないが若い女性ではない。ほとんどたるみもなく引き締まったスレンダーな体型をしている。

 ベッド脇に佇むとモニターに下半身のアップが映った。胯間には陰毛が透けて見える。整えているのだろう、きわどいVカットだがはみでていない。乳首が透けている。手で胸を隠す仕草がいかにも素人っぽい。

 瑞枝ではなかった。だが、その女性に見覚えがあった。こんな格好でなければわるのでは、と頭の片隅で思った。

 どこに視線をあてても映る自分の姿に、女性は落ち着かない様子で胯間と胸を手で覆う。恥じらう顔をこちらに見せたとき脳裏に閃光が走った。

 腰を浮かせ、手で丸窓を覆って女性の顔以外を隠してみた。脳天に一撃を食らったような衝撃を感じ、池村はよろけた。

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